バニー&ベアー蓬田道子さん

Interview

バニー&ベアー
蓬田道子さんインタビュー

インタビュアー 鉢嶺清充

犬達と共に過ごした子供時代

この世に生を受けたその日から既に傍らに犬がいて、犬に子守りをされていたという蓬田道子さん。

思春期時代、道子さんが好き過ぎて学校まで追いかけてきてしまったテル君や、
幼少期にガードドッグとして危険から守ってくれたベル君の楽しく心温まるエピソードも織り交ぜながら
生い立ちから現在までの物語をお話していただきました。

Interview

Q. 犬との暮らしはいつから始まったんですか?

私が産まれる前から既に犬が居ましたので、産まれた日からですね。
父が栃木でシェパードをブリードしていて、警察犬も育てていたので、赤ちゃんのころから犬に囲まれていました。

最初の記憶は水戸に引っ越してから。
広い敷地でシェパードたちと暮らした、素晴らしい日々。
当時私は幼児で喋れませんでしたが、犬達とは言葉ではなく心で会話していたのだと思います。
それは幼少だからこそできる犬との会話術。

IQの高いシェパード、しかも警察犬という特殊な訓練を受けた立派な犬達を相手に、特別な年齢の時しか経験できない言葉を超えたコミュニケーションを自然体で行っていました。

今思えば本当に貴重な幼少期でした。

Q. 子どものころ、特に忘れられない思い出はありますか?

昭和時代。今ではありえない光景ですが。。。
両親がヨチヨチ歩きの私をお昼寝させ、ぐっすり寝付いたのを見計らって両親がそおーっと部屋をでて、すぐ傍の小さなスーパーに買い物に出かけてしまったんですね。

ところが、そういうときに限ってというか、子供って親が居なくなる気配を感じるんでしょうね。 私は目を覚ましてしまったんです。
目が覚めたら両親がいない。寂しくなって泣いて部屋中探したけれど居ないもんだから
玄関を出て、お庭に探しに行こうとしたんです。

玄関を開けようと、土間に降りて、引き戸に手を掛けた途端、当時警察犬だったシェパードのベル君が、私のスカートをオムツごと噛んで引っ張って離してくれない。

当然私はベル君止めて!ダメ!イケナイ!と一生懸命覚えたてのコマンドをベル君に言うんですが、それでも離してくれない。
私が悔しくって、ベル君を引っ張ったり叩いたり、まるで兄弟喧嘩でもするような感じで押し問答しているところに、両親が帰宅。

ベル君は両親が帰宅した途端、私のスカートを離して、得意げに両親のほうを向いて座っていました。
実はベルくんは両親から「守れ」の指示を受けていたんです。
私の保護者役を任されてたベル君は必死に、私を外にでる危険から守ってくれていたんですね。


家の隣が見渡す限りの梅畑でして。
幼稚園から帰ってくるといつも、お母さんが作ってくれた錦松梅と卵焼きの入ったお弁当持って、梅畑行くのが小さな私のルーティーンでした。

ベル君も当然一緒。 不審者や予期せぬ事故から私守るために必ず傍にいてくれました。
危険な道路を歩くときは、道路側を歩くように訓練されていました。

幼稚園のお迎えも毎日、忙しい両親に代わりベル君が来てくれました。
幼稚園の門の前の銅像の横できちんとお座りをしてずっと待っていてくれたベル君

待っている間、誰かにさわられても、微動だにせずただ一点をじっと見て私が来るのを待ってる。 私が来るまで自分のリードをくわえて待ってるんですよ。
そして私が先生とさようならして出ていくと、ベルくんが咥えているリードを持っておうちへ帰るという感じでした。

ベル君の事は、とても頼もしく、子供ながらに誇らしく思っていましたし、かけがえのない友であり兄妹であり保護者でありパートナー、大切な存在でした。

Q. いろいろな動物に囲まれて育ったと聞きました

水戸の家が手狭になって、もう少し広いところで、1000坪くらいの場所に引っ越しました。
父が動物を好きで、動物をたくさん飼っていたんです。
移動動物園等で役目を終えた動物は当時殺処分が多かったんですが、父が、それは可哀想だからと言って家に連れて帰ってくる。

ニシキヘビとか、柴犬とか、きつねとかたぬきとか、孔雀とか、アヒルや鴨、猪なんて20頭とか居たときもありました。それで、ムツゴロウさんみたいな人がいるって新聞社が取材に来て、私と猪の子供の写真が掲載されたこともありました。

動物園から飼育の仕方の問い合わせがあったり、一回ムツゴロウさんからも電話があって、猪の件だと思うんですけど、繁殖の件で相談の電話が来たと記憶しています。両親は、どの動物に対しても大変面倒見が良い人でしたし、動物たちの死亡率がとても低かった為、そこを聞かれたのかもしれない。

そういう土台があって、両親の商売の都合でまた別の場所に引っ越しました。
それが小学校5年のとき。

Q. 小学校のときにも、特別な犬がいたそうですね。

はい。テルくんという子です。
シェパード犬としては小さく、未熟児として生まれたのですが。これが弱虫さんで警察犬訓練生だったのに、上手く訓練が入らない。
それで父が再訓練のために預かったんです。

その子が私に懐いて懐いて。いつもベッタリくっついていました。
あまりに私の事が好きすぎて学校までこっそりついてきちゃうような子だったんですよ。

庭にある高さ2メートルもある鉄のフェンスを、どこをどうやったのか?テル君は飛び越えて、登校班の後を付いてくるんです。
私に見つからぬよう遠くからコソコソ隠れる技はまるで忍者のようでした。

たまに、歩いていると後ろの方でかさかさ音がする気もしたんですが、振り返っても誰もいない。
あぁ。枯葉の音か。と思い学校に到着。

私は、教室の後ろの席の廊下ドア側に座っていたのですが、授業中、廊下からハッハハッハ・・・と犬の息遣いが聞こえるんです。
学校に犬が居るわけないから、きっと犬が好きすぎて空耳が聞こえるんだろうとやり過ごしても、やっぱり聞こえる。
いや、おかしいだろう。と、そーっと先生に見つからないように廊下のドアを少し開けたら、満面の笑みのテル君が私を見て良い子で座っていました。

良い子とは、一体どういう子でしょうね(笑)
私を追いかけてきちゃって、隠れてついてきたんです。
両親からの守れという指示は入っていませんでしたから、単純に私がどうにもこうにも好きすぎて学校まで付いてきちゃったんですね。

そんな事が何度もありました。
テル君が学校に来ちゃうと他の生徒や先生方のご迷惑になるので、私は学校の公衆電話から親に電話して迎えを頼みますが、その間、テル君を放っておくわけにはいかないので
当然お迎えが来るまで授業は受けられず、校庭でテル君と待っていました。

でも苦笑いはしたものの困ったなとは全く思いませんでした。
そんなに私のこと好きで仕方がないまっすぐな気持ちを向けてくれる事に対して、嬉しかったですし、ありがとうって思っていました。
その頃でしょうね「犬と人の関係って特別だな」と感じるようになりました。

人は言葉で気持ちを確かめ合うじゃないですか?
「本当にそう思っているのかな」 「嫌われていないかな」 「この言葉にはどんな意味があるんだろう」
つい言葉の裏側まで考えちゃうんですよね。

でも犬をはじめとする動物たちの心は嘘偽りなどなく、まっすぐなんですよ。
友人関係や学校の先生、大人たちとの関わりの中で、人間の良い部分だけでなく、嘘や裏切り、嫉妬や打算といった複雑な感情に触れたりして、自分を取り巻く小さな世界に戸惑うのが思春期。

その戸惑う感情を人間同士でぶつけ合う事は難しいけれど、犬とは、心を通わせるだけで、心の疲れを癒したり、優しさ、笑顔、勇気、素直さを取り戻す事が、なんの抵抗もなくできるのだという事に気づきました。

犬たちとの関係は、言葉による確認など必要なく、真実の繋がりだけしかないんですよね。
嘘も穢れも裏切りもない。私がまっすぐ愛せば、彼らもまっすぐに応えてくれて、その愛は私が与えた以上のものとなって返ってきます。

彼らは自分にできる精一杯の方法で、「大好きだよ」と伝え続けてくれる。
人を信じることに迷った時でも、犬たちは変わらず真っ直ぐな愛を教えてくれました。

産まれてからずっと家族として犬と過ごしてきましたが、思春期になって初めて、犬という生き物への尊敬を覚えましたし、犬の素晴らしさを改めて知ったんだと思います

親に言えない事ばかり、言ったところで分かってくれない事ばかりでモヤモヤする多感な時期、まっすぐに、汚れなく繋がれ犬という存在にどれ程助けられたか知れません。

Q. トリマーを目指したきっかけは?

母の勧めです。
ある日、迷い犬を保護したのですが、それが泥だらけのヨークシャーテリアでね。
保護してお風呂に入れてあげた事があったんです。
それを母が「とても上手だった」と言ってくれて。

ある日、駅の近くのデパートにジョーカーさん系列のペットショップがあって、そこでガラス張りの店でトリマーのお姉さんがトリミングとしていて。
ホワイトのトイプードルをブローをしてたんです。

それがすごい「うわーっ」て(笑)
濡れた被毛をスリッカーブラシでドライヤーをかけながらブローしていくとみるみる美しい毛がふわぁ~っと伸びていく様を見た時、言葉で言い表せない程の驚きと、生まれて初めて、トリマーという職業に対して憧れを抱きました。
すごく綺麗だな、私も絶対あれをやってみたい!!!!!とはじめて思って。

すぐにお店の方に、見習いでも無給でも良いので働かせてください!と頼んでみましたが、そこは高卒以上しか入れない。
私は当時、中学卒業したばかり。
中学でイジメに遭ったりして学校に行くのが嫌で嫌で仕方なくて、通信制の高校に通っていましたので、高校卒業資格は持っていなくて、中卒でも弟子として勉強させてくれる先生をあちこち探しました。

そしてトリミング専門学校の学長でもあり有名なハンドラー、後に審査員となった中村先生のお店に見習いのお弟子さんとしてお世話になりトリミング、ハンドリング、ブリーディングの修行し、退職してからも、別のブリーダーさんで更に修行を重ね、18歳という若さでペットショップで店長を任せて頂いたり。
色んな場所で、貴重な経験をさせて頂きました。

Q. その後、ネットショップを始められたんですよね?

初めての出産は帝王切開。
退院後直後から、まだ痛いお腹を労わりながらの育児。
体調も精神面も不安定な時期、生まれたばかりの息子を抱え、お問い合わせ対応、仔犬のお世話、ブリーダー訪問、写真撮影、時にはお客様から依頼された仔犬を探しに走る日々を送っていました。

睡眠不足と母乳育児、仕事の両立は、想像以上に大変でしたが、不思議と「辞めたい」と思ったことはなくて。
その結果、開業からわずか3か月で加盟店全国トップの業績を達成。
その後も忙し過ぎて特に順位なんて気にしてなかったんですが、いつの間にやらずっとトップを維持し続けていました。

今振り返ると、犬への情熱と努力だけは誰にも負けなかったのだと思います。
当時は無我夢中だったんですが、後になって振り返ると、あの頃の行動力と情熱は我ながら常軌を逸していましたね。

当時は犬のネット販売業者やチェーン店が数多く存在していましたが、その中でも私のお店は「犬質の良さ」と「トラブルの少なさ」で知られていました。
お客様とのトラブル、ブリーダーとのトラブル、仔犬の健康トラブルがほとんどなく、有難い事に、常に高い評価を頂いていました。
その結果、長年にわたりチェーン店内でトップクラスの業績を維持していました。

実績が評価され、同じチェーンに所属する他店舗のオーナーや新規開業オーナーへの指導を任されるようになり、その後は動物専門学校からお声掛けをいただき、特別講師として学生たちに現場で培った知識や経験をお伝えする機会にも恵まれました。

犬を見る目、ブリーダーを見る目、そしてオーナー様との信頼関係づくり、仔犬とオーナー様のマッチング力の高さ。この3つには特に自信を持っています。

実家もブリーダーだったので、体の構造や病気については幼い頃から自然と学んできました。
犬業界での修行期間も長く、知識や技術は十分に身につけてきたと思います。
ですが、私の一番の強みは知識や経験だけではありません。

幼い頃から数え切れないほどのIQの高い犬、仔犬からハイシニアまで、ありとあらゆる犬種、年齢の犬たちと共に過ごしてきてますから、犬が発する空気や気配、ほんの僅かな変化を敏感に感じ取る力が、自然と身についているんですよね。

普通は犬が行動や表情でサインを出してから気持ちを読み取りますが、私はその前の段階で「何か違う」と感じることが多いんですよね。
言葉で説明すると、ちょっと難しいんですが、長年犬たちと向き合い続けたことで培われた、いわば犬との対話能力のみたいなものですね。

犬の喜びの感情、不安や不快感を犬がそのシグナルを表に出す前に察知し、誰よりも早く対応することができます。
この感覚は知識や技術だけで身につくものではなく、天性のもの。
私に与えられた特別な才能だと思ってます。

今は私もね、生きてる中で穢れてしまって。色々欲や我が出てしまってるかも?ですから子供のころよりはわからなくなってるかもしれませんけれど、それでも他の方より犬の気持ちや行動を感じる能力においては長けていると自負しています。

Q. ブリーダーになったきっかけは?

仕事がうまくいって、30歳ごろ、今から21年前かな。
自分で店舗をかまえるとなって、自分の理想の犬も作りたかったですし
その為の経験、技術、人脈、何より大事な目利きもできるようになり自信が付いたのでブリーダーとして独り立ちする事にしました。

まず揃えたのが、私の専門犬種であるプードル。
そして興味のあったイタグレにシベリアンハスキー。
繁殖学の勉強の為にボストンテリアやパグ、ブルドッグもブリードしました。

ブリードを初めて数年経った頃ですかね。
海外でゴールデンドゥードルというプードルとゴールデンレトリバーのミックス犬が居て、抜け毛のない、アレルギーのある人でも対応可能な補助犬が活躍していると、体に障がいをお持ちのお客様からきいて、調べはじめました。
勉強していくうちに、まずはブリードしてみようという事になりました。

産まれた時から訓練犬と育ってきましたし、私は賢く優しく、懐が深い犬が大好きでしたしね。
そしてゴールデンドゥードルを作出し、仔犬の頃から成犬になるまでの過程、気質や骨格、抜け毛等を細かくチェックしデータ化しました。
血統により、違いはありますが動きも賢さも大変良く、使役犬としてのポテンシャルは十分にあると判断できたので、これで補助犬を作出して行こうという事になったんです。

けれと補助犬の訓練は経験がないので、補助犬について勉強をし、補助犬育成をしている施設を探し、日本聴導犬協会の有馬さんという方が気に入ってくださって。
そのときの子が介助犬になったんです。
日本で初めてゴールデンドゥードルの介助犬を作出するという夢が叶った瞬間でした。

現在では、プードルに関しては全バラエティー(サイズ)と、ゴールデンドゥードル、コッカプー、プーニーズの4犬種をブリードしております。

Q. ケネルの「売り」はどこですか?

一番の自慢は長年丁寧にブリードし守り抜いていた血統ですね。

「良い親に育てられ、良い子に育つ」ことは当たり前の事ですが、実はなかなか難しいんですよ。
良い親犬を育てるためには、人間側の教育も欠かせません。だからこそ弟子たちへの指導も徹底しています。

親犬たちは日頃から人と暮らす為に必要な行動、振る舞いを丁寧に教育されているので、子犬たちも自然と親を真似て、賢く優しく育ちます。
人の様子や空気を読む能力に長け、「今は静かにしていようね」といった場面、ON、OFFを理解して行動してくれるんです。

人間で例えるなら、校風や教育理念がしっかりしている学校のようなものかもしれません。
同じ犬種でも、どんな環境で育ち、どんな大人たちに囲まれて成長するかによって、その後の性格や考え方、振る舞いには大きな違いが生まれます。

当犬舎では、親犬だけでなく他の犬たちも子育てを手伝います。
まるでたくさんのお母さんや先輩たちに囲まれて育つような環境です。
群れの中で生活することで、社会性や思いやり、良いこと・悪いことを自然と学んでいきます。

私たちが大切にしているのは、ただ可愛い子犬を育てることではなく、人と穏やかに暮らし、周りへの気遣いができる犬を育てること。
血統やスタンダードだけでなく育つ環境そのものが子犬の未来をつくると考えています。

それがBunny&Bear Kennelの教育理念であり、一番の強みです。

Q. 健康管理の面でも徹底しているそうですね。

その月によりますが、獣医さんが2週に1度程度、往診に来ていますし、一般診療の先生、画像診断に優れた先生、外科手術に優れた先生、エキゾチックから大動物まで診療可能な先生、整形外科に特化した先生など、複数の病院と連携しています。

私自身も動物看護師としての勤務経験があるので、医療の大切さは身に染みて分かっています。
親犬の日常的な検査や予防医療、健康管理を徹底してこそ犬達が幸せでいられますし、何より犬達の元気な笑顔が見たいと、私が一番強く願っていますからね。

Q. ペットロスについてどう考えていますか?

大切に慈しんで育てた子とのお別れは、言葉では表現できない程つらいですね。
何処を見ても、旅立った子を思い出して。
箸を見ても、床を見ても、電気のスイッチを見ても涙が溢れて、まるで魂を捥ぎ取られたような悲しみですよね。
私は究極のペットロスなんだろうと思います。

大切なあの子にもう一度あの子に会いたい。と願う気持ちから、その子の面影を宿す血統、遺伝子を残してブリードしているんです。
遺伝子がつながっているからこそ似た仕草や癖が出て、「この子だ」と感じられる。それで救われる人もいるんです。

だから、ご見学やご面会の際には、「私と同じように犬を深く愛してくださる方か」「犬のために学び、努力し続けてくださる方か」を大切に見ています。
私がブリードした子たちは、ペットショップのようにお金を払えば誰でも迎えられる存在ではありません。

私にとっては我が子同然の大切な命。
その子を家族として慈しみ、生涯にわたって深く愛してくださる方にのみお譲りしたいと考えています。

犬を「飼う」「飼育する」のではなく、一生を共に歩む大切なパートナーとして迎えてくださること。
それが私の一番の願いなんですよね。

Q. 犬たちの生活環境についても工夫がありますね。

うちでは犬たちを24時間好きな時に外で遊ばせています(雨の日以外)。
夜もストリングライトとナイター照明を点けて、元気いっぱい自由運動をしていますし、食事も高品質のフードを「ビュッフェ方式」で与えて、自然に腹八分を覚えさせるようにしています。

最近は「フォスター制度」も始めました。
ブリード犬を信頼できる家庭に預けて、普段は家庭犬として暮らしてもらうんです。
カフェに行ったり、ドッグランに行ったり。

繁殖期以外でフォスターさんからのオファーがあれば家庭犬として過ごしたり、ケネルで群れに戻ってみんなと遊んだり。
2年前から取り入れていて、犬達の社会経験にも、心を育てる為にも良い仕組みが出来たなぁと感じています。

Q. ブリードに対するモットーは?

命に真正面から真剣に向き合うことです。
犬に対して絶対に嘘をつかない。犬とした約束は必ず守る。犬が笑ってくれたら、真正面から笑って返す。受け止めてあげたい。
それは小5のときに一緒にいたテルくんと育った時と全く変わらない気持ちです。

これはモットーというより、絶対に破ってはならない約束です。
命を生み出し、命の番人と呼ばれるブリーダーとしての義務だと思っています。

私のケネルの犬たちは、この約束が守られることを前提に生まれ、その生涯を終えるその日まで守られることを約束されて巣立っていきます。

私のケネルで生まれる子たちは、この約束のもとに生まれてきます。
そして新しい家族のもとへ巣立った後も、生涯を通して大切に愛されることを願いながら送り出しています。

一頭の仔犬を迎えるということは、ただ犬を飼うことではありません。
決して擬人化せず、その子の「犬」としての尊厳を守り、尊重した上で、その子が生きる為の一生を支え、その子が最期の日に「犬に産まれてきて幸せだった」と思える人生を共に創ること。
犬として産まれた喜び、犬として産まれてこなかったら出来なかったであろう体験を思う存分させ、体いっぱい、心いっぱいの喜びを与えてあげるという事です。

どうか同じ想いを持つ方に、この子たちと出会っていただきたい。
犬を所有するのではなく、一つの命と約束を交わす。その覚悟を持って迎えてくださるご家族とのご縁を、私は大切にしています。








ワンちゃんたちと歩いてきた時間

幼いころ

シェパードに囲まれて育つ

ものごころがつく前、赤ん坊の道子さんはたくさんのシェパードに囲まれていました。お父さまが栃木でシェパードのブリードと警察犬の育成をしていたからです。

シェパードに囲まれていたころ
幼稚園

保護者だったシェパード「ベルくん」

昼寝して目が覚めて、ひとりで外に出ようとしたとき。後ろから思いきり引っぱって止めてくれたのがベルくんでした。梅畑にも、幼稚園のお迎えにも、いつも一緒。親から“保護者”と指示されていたほどでした。

ベルくんに守られていたころ
成長期

広い敷地と、増えていく動物たち

400坪から1000坪へ。父は動物園で廃棄されるはずだった動物たちを次々と迎え入れ、きつね・たぬき・ニシキヘビ・猪・孔雀まで。殺さずに増やす父は、ムツゴロウさんからも問い合わせが来る存在になっていきます。

動物が増えていったころ 動物が増えていったころ
小学校5年生

別れの寂しさを埋めた「テルくん」

水戸からさらに引っ越したとき、友達との別れの寂しさを埋めてくれたのが警察犬の落ちこぼれだったテルくん。授業が始まってしばらくすると、廊下にこっそり現れてしまうほど、いつも近くにいてくれました。

思春期

「犬は人と違う」まっすぐなつながり

親にも友達にも言えないことが増えてきたころ、犬たちは言葉の確認なしで寄り添ってくれた。「この子たちには嘘がない」と感じたこの時期の体験が、“犬の気持ちがわかる”今の仕事の核になっています。

20代〜30代

トリマー修行から、命と向き合うブリードへ

母のすすめでトリマーに。21歳まで有名ブリーダーのもとで学び、結婚後は犬のネットショップを開設。まず自分で引き取って2週間観察してから渡すやり方で評価され、やがて店舗を構え、繁殖も開始。ボストンテリア、パグ、ハスキー、プードルへと広がり、今に続きます。

トリマーとしての修行時代
その後

ゴールデンドゥードルとの出会い

体に障がいをお持ちのお客様から、海外で補助犬として活躍するゴールデンドゥードルの存在を聞き、調べ始めたことがきっかけでした。作出した子犬たちの成長過程、気質、骨格、抜け毛などを細かく見極め、補助犬としての可能性を感じるようになります。

夢の実現

ゴールデンドゥードルの介助犬作出へ

補助犬について学び、育成施設とのご縁を探す中で、日本聴導犬協会とのつながりが生まれました。その子が介助犬となり、日本で初めてゴールデンドゥードルの介助犬を作出するという夢が叶いました。

Profile

ブリーダー写真

Bunny & Bear Kennel
代表 蓬田道子(よもぎたみちこ)

1974年生まれ。幼少期からシェパード犬に囲まれて育つ。
21歳まで有名ブリーダーのもとでトリマー修行。
20代で犬のネットショップを立ち上げ、30歳で繁殖をスタート。
現在は「バニー&ベアー」のオーナーとして、犬と人が共に幸せに生きる環境づくりに力を注ぐ。